わたしは、車が好きではないが、実家にいる時、次兄の車で、遠出をしていた。
埼玉に住んでいたので、長瀞や秩父へ、愛犬を連れて、よく出掛けたものだ。
けれども、わたしが一人暮らしを始め、次兄もその後に続くように、実家を出ることになり、その際、車をどうするかで問題になった。
廃車の話が出たが、廃車にも金が掛かるということで、躊躇していた。そうはいっても、車をそのまま持っていけば、維持費が掛かり、次兄はそこまで車にこだわりがなかったようだ。
結局、廃車をすることで決着したが、その時の価格が、約十万程だったと思う。
もし売りに出したりしたのなら、いくら安くても、多少なりとも金を手にできるので、それなりの有益さを感じられる。しかし、ただ単に車を失くし、なおかつ、金を取られたのなら、何も残らないとも言える。
次兄の意思だから、わたしはとやかく言わないが、わたしなら、売りに出していたかもしれない。
とって、人間の精神とは、どこかで何かを終わらせたという証が欲しいものである。
ひょっとして、次兄の場合は、それが車の廃棄だったのかもしれない。
それなら、わたしも非常に納得できることだが、彼からその言葉を聞いていないので、確信ができないことである(笑)。
次兄の再起の意思?
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